大河内 敦の裏blog

広告会社に勤める一級建築士のPC自作日記

初めて、フルオーケストラの生音を聴いて。

自作PCとは直接関係ないのだが、最近、オーディオについて考えさせられることがあったのでそのことについて書いておきたい。少し長く理屈っぽくなるので、お付き合いいただける方は読んでください。

梅雨明け、会社の同僚と神戸で催された大阪フィルの特別演奏会を聴きに行った。「協奏曲の夕べ」 ~ 才能あふれる若手ソリストと大フィルのコラボステージ三奏。 ~ 実は、フルオーケストラの生音を聴くのは生まれて初めてなのである。その生音に期待しながらコンサートホールに出向く。

当たり前だが、ホールで聴く生音は家で聴くCDとは全然レベルが違った。

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ホールでの生音には、当然ハコの「鳴り」や「残響」といったものがある。あとステージ上に「左から右へ」「手前から奥へ」ズラリと着席した演奏者たちの楽器たちの音がその場所からダイレクトに、また、ホールの天井や壁に反射して残響や鳴りとして耳に届く、そのシンプルかつリアルで立体的な音環境の体験に、今更ながら「あ~、これは時々耳のリセットのために聴きに来るべきだな~」と思った。~ 自分が聴く音の基準はこの生音であるべきだ、と思った。われわれは、映画にしろゲームにしろ、バーチャルに作られた音や演出された音をエンターティメントとして日常的に体験している。これらの音演出は実際に人を感動させもするので決して否定されるべきでは無いが、今ではむしろこういった楽器の生音をダイレクトに聴くといった体験のほうが貴重である。

80年代、それまでのアナログレコードの次のメディアとして登場したCDに最初に飛びついたのは、一見保守的に思われがちなクラシックファンだった。(当時、CDを試聴した朝日新聞の記者が「客席の咳払いが聞こえる。」と書いていた。実際、ホールで生音に耳を澄ませると、空調の音や観客の咳払いにも意識的になる。これは、ホールでの視聴による意識変容の体験がある人のリアルな意見だと思う。)そんな、現場のリアルな再現を求めてデータ化された生音たちは、その後のサンプリングや加工により小さくは初音ミクの様なDTM化したり、大きくは、ドルビーシステムの様な大規模サラウンド技術に発展。生音を聴きに行くためのコンサートですら、おおよそ生演奏に向いていないと言われた武道館でも、エコーキャンセリング技術により昔の様なディレィが起こらなくなる音響機器のセッティングが施される。Perfumeやきゃりーのライブには、演奏者すらいない。データ化された音声は独自の発展と世界を獲得した。

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で、翻って自宅のPCオーディオである。もちろん、私のPCでもDTMやドルビーサラウンド対応のゲームを楽しむ事は可能だ。そんなバーチャルな音演出のツールとしてのPCがあるその一方、ひたすら原音を追求するハイレゾ化の流れがある。実際、私の持っているNU FORCEとECLISEのコンパクトでカジュアルなPCオーディオですら、その残響再生の丁寧さや音場定位のクリアさに感心した。初めて自宅で聴いたとき、机の上に小さいボーカルが立って歌っている様なリアルさに感動した。しかしそれでも飽き足らず、更にPCノイズを排除にひたすら心血をそそぐMARANTZの様なメーカーがある。

昔伺った名古屋のオーディオチューンナップショップのご主人は、オーディオシステム全体の電流・電気信号の流れを、CDに記録されたままの素直でピュアな状態に保ち再生することに調整の軸足を置いてらした。そのため、まず、メディアであるCDの帯電除去から、電源やデジタル機器、もっと言うと台所の電子レンジなんかも含めた家庭内に滞留している電磁波やノイズからケーブルの中を流れる再生音声信号守ることで、また、アンプにクロックチューンを施すことで、CDに記録された音をできるだけスムースに忠実にスピーカーから空間に解き放つことを目指してらした。電磁波の状態を整えると称したシートやケーブルカバーとかも売っていて、ちょっとオカルト的というかアブナイ印象だったけど、実際、CDが素晴らしい音で再生されていた。ご主人が言っていたのは、「音にお化粧を施しすぎるオーディオ機器が世の中多すぎる。」「よく、最初に買ったときはいい音だと思っても飽きが来るというのは、そのお化粧に飽きているということ。」「CDに記録されている音声自体、レベルが高い音声データなのだ。」「その音声自体を素直にスピーカーか再生できる様にさえすればいい。」「そうすれば、今まで以上に音の表情がかけるソフトによって変わる。飽きるということ自体無くなる。」「自分のオーディオチューンは、それれだけを目標に無骨にやっている。」~ なるほど。このご主人がチューンナップしたマランツとB&Wのコンポ、ものすごく欲しかったが、当時はお金に余裕が無い時代で、「いつかは・・・」と思いながら帰路についた。

で、話はまた、コンサートの生音である。確かに、演奏に飽きることはあっても、コンサートホールの音に飽きる人というのはあまりいないだろう。なんと言っても「生音」なのだ。「コンサートホールの音響設計 ↔ 原音再生オリエンテッドなオーディオシステム」「アーチストの演奏・生音 ↔ CDに入っている音声データ」という2つの対比を重ね合わせると、前述の名古屋のご主人のお話はごもっともである。完全に原音に忠実な再生には、飽きようがない~少なくとも理論的には。家電店でマランツのマシンを見たり、クラシックコンサートで生音を聴いたりしたら、昔オーディオショップのご主人から聴いた話を思い出した。どうしてらっしゃるだろうか。